塗料の概略

特別な機能

塗料は保護と美観以外に、被塗物に特別な機能を与えることにより、価値を高めることができます。特別な機能を付与した塗料はハイテク技術を含む広い分野で使用され、品質向上、経済性(省力、省資源、省エネルギー)・快適性・安全性・環境保全などの面で新しい時代の流れに沿った社会の進歩とニーズに応えています。

塗料に付与した特別な機能としては下の表に示すようなものが考えられます。

機能分類 項目
電気・磁気的機能 導電、電磁波シールド、電波吸収、磁性、プリント回路、IC用、帯電防止、
電気絶縁
熱的機能 耐熱、断熱、遮熱、耐火、太陽熱吸収、示温、熱線反射
光学的機能 蛍光、蓄光、光再帰反射、遠赤外反射、紫外線遮断、光伝導
物理的機能 男性、貼紙防止、落書き防止、防滑、潤滑、結露防止、着氷固着防止、
調湿、凍害防止、透湿、ひび割れ防止、防水、ガラス飛散帽子、
コンクリートはく落防止
生物的機能 抗菌、防かび、防藻、防虫、防汚、水産養殖、動物忌避
科学的機能 消臭、ガス選択吸収、中性防止、汚染防止、光触媒
その他 防音、制振、放射能防御、貼る塗料

 

生活様式の変化、科学技術の高度化・多様化、新素材の開発・普及などにともない、さらに新しい機能を持った塗料の登場が期待されています。

 

高反射率塗料

地球温暖化対策の一環として、塗料・塗装による遮熱・高反射・断熱などの手法があります。下の写真は屋根面に高反射率塗料(後方面)と一般塗料(前方面)を塗装し、その温度をサーモグラフィで示したものです。表面の温度差が明確に表れています。

   

 

コンクリート剥落防止塗料

鉄筋コンクリートは、コンクリートの経年劣化による中性化の進行で、内部の鉄筋に錆が発生し、錆膨張からコンクリートが爆裂、著しい場合は剥落することがあります。コンクリート剥落防止塗料は、コンクリートの中性化の進行を防止するとともに、万一の場合の剥落を防止します。


低汚染塗料

低汚染塗料とは塗膜が汚染しにくい、または自己洗浄機能を持つ塗料です。

代表的な例には、塗膜表面に親水化機能を持たせることにより、雨天時に塗膜に付着した汚れを雨水とともに流し落とすものがあります。これらの機能とともに高耐候性樹脂の採用で、メンテナンスサイクルを大幅に向上させた塗料の開発が進められています。


畜光塗料

畜光塗料は、暗闇でも電気なしで光るため、非常標識や誘導ラインなどに使用されています。 明るい時に光エネルギーを蓄え、暗くなると発光する便利な塗料です。ビルの階段や地下通路の保安に役立っています。


制振塗料

自動車ボディーのフロアー、ダッシュ、オイルパン、ミッションカバーなどの振動を抑えるために使用されます。複雑な形状部や背面、垂直部も効率的に制振処理できます。使用部位の特定の環境温度で最大の制振性を発揮するように各種のグレードがあります。VOCの排出のほとんどない水性タイプが中心で、環境にも配慮しています。

   

耐火塗料

鉄骨の耐火被覆に使われる耐火塗料は、わずか数ミリの厚みの塗膜が火災などの際、雰囲気温度が高温になると数十倍に発泡し、耐火断熱層を形成して鉄骨の倒壊を防ぎます。鉄骨のフォルムを生かす仕上げとして、注目を集めています。


プール用塗料

清潔さ確保・防汚管理が容易です。保護と美観だけでなく、安全衛生面に寄与する機能があります。


落書き防止塗料

落書きしにくく、されても除去しやすいプロテクトタイプの施工も増えています。


 

 

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塗料工業の歴史

 

塗料工業の夜明け(安政〜明治初期)

日本人が初めて塗料を使用したのは、嘉永6年(1853年)米国よりペリー特使が来日し、翌年の安政元年に日米和親条約交渉を行う建物に塗られたときといわれています。その後、明治の文明開化とともに広く使われるようになり、これに着目した茂木春太、重次郎兄弟が1881年(明治14年)に東京に光明社(こうみょうしゃ)を創立したのが日本の塗料工業の始まりです。

また、明治18年には、船底塗料の研究で成功を収めた堀田瑞松が農商務省工務局の専売特許所(現在の特許庁)へ出願し、同年8月14日付で塗料が日本で第1号の特許を取得しました。

    

発展と試練(明治中期〜昭和初期)

明治中期から大正初期にかけて塗料メーカーが次々と生まれ、大正の初めころには輸入塗料はほとんど姿を消すほどの力を持つようになりました。

大正9年(1920年)、第一次世界大戦後の恐慌で事業を整理する会社が続出する苦しみを受けましたが、12年の関東大震災後の復興需要で力を盛り返すことができました。
昭和の初期になると、合成樹脂を利用した塗料が開発され、新しい塗料が芽生えてきました。


日本塗料工業会の設立(昭和初期〜昭和40年)

昭和6年(1931年)の満州事変の勃発により、経済は統制経済に移行し、企業整備・取引制限・価格統制などの制約を受け、塗料工業も軍需産業に組み込まれました。昭和20年の大空襲で91工場のうち、48工場が壊滅的な打撃を受けました。焼土の中で再開した昭和20年の塗料工業の総生産はわずかに1万トンでした。

昭和23年(1948年)、日本塗料工業会が設立されて、業界は復興に向かって必死の努力を始めました。その後、優れた合成樹脂塗料が次々と開発されていきました。昭和30年代から40年代前半までは、経済の高度成長の波に乗り、塗料の生産数量も30年には15万トン、40年には60万トンと飛躍的に増大しました。


環境規制と石油ショック(昭和41年〜55年)

いろいろな工業の急成長で空気、水などの汚れや産業廃棄物による環境の悪化が社会問題として一気に噴き出しました。昭和42年(1967年)に公害対策基本法ができ、47年には大気汚染防止法の一部改正などで、塗料工業の排水、排気、廃塗料,廃溶剤の処理などの規制が強まり、このためのコスト負担が増えました。

これに加えて、昭和48年と54年の2回の石油ショックにより塗料の原料が暴騰しましたが、塗料の需要が伸びない中での過当競争のために、販売価格の引き上げが思うようにいかず、塗料工業の収益は非常に苦しい時代に入りました。

昭和55年の生産数量は154万トンでした。

新しい変化への対応(昭和56年〜63年)

石油価格の暴騰により、省エネルギー、省資源対策が進み、さまざまな製品の小型化、軽量化とプラスチック、軽金属などの新素材が各所で使われるようになりました。それにともない、塗料の需要にも質、量ともに大きな変化が現れてきました。

昭和50年代には、わが国の貿易収支の黒字と米国の貿易と財政赤字の増大により円高が進み、内需拡大策や円高メリットの浸透を反映し、好景気が続きました。昭和61年(1986年)、日本塗料工業会は社団法人に改組し、新たなスタートを切ることとなりました。

市場の変化や拡大に対応し、塗料業界も塗料の提供のみならず、人々に色彩による潤いをコーディネートする色彩総合産業として大きく羽ばたき始めました。

昭和63年の年間生産数量は初めて200万トンの大台を突破しました。

化学工業の一翼を担って(平成元年〜現在)

昭和から平成の時代に入り、比較的順調な成長を続けてきた塗料工業は平成2年(1990年)に過去最高の生産数量220万1000トンを記録しました。ところが、この年をピークにバブル経済の崩壊などによる景気の後退が始まり、長い低迷の時代が続くことになりました。平成19年(2007年)の塗料生産数量は暦年で役194万トンとなりました。

一方、環境や安全、健康に関する諸問題への取り組みは一層重要性を増し、国内のみならず中国や韓国をはじめ、アジア地域の業界団体にも人や環境に及ぼすリスク防止の実施と普及をうながしています。また、2007年6月には、欧州においても新たな化学品規制が施工され、「グローバルな視点での環境と安全への対応」をテーマに、世界各国の団体などと協議・調整を行い、リードしていくことが当工業会の課題となっています。

平成6年(1994年)、わが国の塗料・塗装4団体の共催でスタートした「ペイントショー」は、塗料が持つ可能性を幅広くアピールすることを目的として、4年毎に開催されています。また毎回APIC(アジア塗料工業協議会)も同時開催され、各国工業会との交流も深めています。

2006年7月に(社)日本塗料協会が解散し、(社)日本塗料工業会に統合されました。2008年(平成20年)に、(社)日本塗料工業会は創立60周年を迎えます。塗料産業の製造・販売・塗装の各団体が一層の協調をして、化学産業の一翼を担うとともに、地球レベルの観点からさらなる発展を遂げる時代に入っています。

 

 

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